新居も危なく… H23・4・3(日)
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この震災を機に、コメントをして下さった方や、
初めてご訪問下さった皆様、本当にありがとうございます。
人との繋がりの温かさを、心から実感しています。
さて、実は我が家の新居ですが…
(詳しくは左側カテゴリより、「新築録」をご覧下さい)
今回、津波で多大な被害を受けた、名取市の下増田地区にあります。
この階段の2段目まで、水が来ていたそうです。
我が家は、海からだいたい2キロ程離れており、
まさか津波が来るなんて…思ってもみませんでした。
あとわずか10センチ程で床下浸水でした。
新居は、何も修繕が必要ない程無傷でしたが、
新居を確認に行った時は、あたりは磯臭く、
道路の隅や、使われていない店舗の駐車場にはドロが溜まったまま…
我が家の駐車場も↓
お天気が良かったので、すでに乾いていましたが、
磯臭い泥が残ったままでした。
新居の目の前の空き地には、海から来たであろう…
そして、地震でずれた電信柱…
もしも、地震の当日ここに居たらと思うと…
友人・知人からは、私がもう引っ越していると
思っていた人も多く、慌てて連絡をくれた方もいました。
我が家の新居は、本当に運がよく、
ほんの通り一本向こうは、悲惨な状態でした。
初めて、津波の被害をこの目で見た私は、
持っていたデジカメをただ握りしめるのが精一杯。
とても、写真を撮る気になんてなれませんでした。
土砂や瓦礫の間の道を、海に向って車を走らせると、
こんなに海が近かったっけ???という疑問が…
答えは簡単です。
海に向って、次第に建物が何もないからです。
電信柱やガードレールがなぎ倒されており、
根元からボッキリと折れた外灯、
車が重なっていたり、用水路を覗くと何台もの車が。
かろうじて、形を留めている民家も、
よく見ると、窓ガラスは全て割れ、大量の土砂が流れ込んでいます。
田んぼには、未だ引かない海水が溜まっていました。
この瓦礫は全て、数日前までは、
幸せな、温かい、誰かの大切な居場所であったはずの一部。
私がようやくシャッターを切れたのは、空港の側だけでした。
そこが道路だったのかすら分からず、
恐らく不眠不休で復旧作業をして下さっている方々が、
なんとか作ってくれた道でしょう。
自衛隊の車だけが止まっており、
まるで異国の戦場の地にでも来てしまったような風景でした。
ちなみに…震災前の空港です↓
この空港にも、当時多くの方が取り残されておりました。
私の父は、この空港のすぐ側の職場におり、
地震発生後、本社と連絡をとっている最中に、
滑走路に津波が来ているのを見て、慌てて車で逃げたそうです。
「津波と追いかけっこをしながら帰って来た」
と父は何度も言っていました。
あと少し遅かったら…考えると恐ろしいです。
実際、震災の日は夜中まで父と連絡が取れず、
ラジオから聞こえる空港冠水のニュースに、
父の生存を冷静に諦めかけていました。
あまりにも、凄まじい情報ばかりが耳に入り、
避難所の寒さや暗さも手伝って、
すっかり絶望していたのだと思います。
そして、重たい気持ちを引きずって、
来月新居に引っ越さなければなりません。
あんなに嬉しくて、待ち遠しかった引っ越しが…
今は、私の中には津波の恐怖感ばかりに支配され、
引っ越しに全く気乗りがしないのが、正直な気持ちです。
もう来ないから大丈夫だよ。
多くの人から言われますが、
まだ気持ちの整理がつきません。
でも、ローンと現在の家の家賃を2重で支払うなんて、
いつまでも出来ることじゃありません。
分かっているんですけどね…
う~ん怖い(TωT)
そして、新居の辺りは、
これから新興住宅地になって行くはずだったような所。
今後、津波の被害の遭った場所に、
新しく家を建てる人が居るのでしょうか…
息子がやがて通う小学校や中学校には、
未だに多くの方が避難生活をされています。
新居が残ったことだけでも幸せだと思わなきゃ…
とにかく、気持ちを奮い立たせて、
無理やり荷作り始めてます( ´△`)
大変申し訳ありませんが……
諸事情により、只今コメントの返信は出来ないことが
ほとんどの状態です。
その分、皆さまの所へお伺い出来れば…
と思っております。
それでもいい!という方、コメントを頂けると死ぬほど嬉しいです(>_<)
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